そろばんネタ帳
そろばん四方山話
012)「零の発見」岩波新書
「零の発見」―数学の生いたち―吉田洋一著 岩波新書
ゼロをかたるには、最もスタンダードナンバーな1冊です。1939年の初刊より、私の 手元にある1993年刊行で第78刷という超ロングセラーです。
確か私どもの世代の、中学校の読書感想文の候補に入っていたような記憶があるのですが、記憶違いでしょうか?
なぜこの本をご紹介するかといいますと、内容に”そろばん”の記載が想像以上に多いことです。つまり、ゼロの発見や位取り記数法の歴史をたどってゆくと、”そろばん”を抜きに語ることはできないという事実を表してくれています。
少し内容を紹介します。
・位取り記数法はまさにソロバンを用いて数をあらわす方法と同じ原理によるものである。<中略>この”0”を書く位は、とりもなおさず、そろばんでいえば球を動かさずに下ろしたままにしておく桁に当たるわけで、何か空位をあらわす記号なしには位取り記数法が成り立たないことは明らかであろう。
・エジプト・ギリシャ・ローマと時代や場所が変わるとともに、形や構造の上に多少の相違がありはしたが、これらの国々では計算は多くの場合ソロバンで行われたと伝えられている。しかも、計算の方法をしばらく度外視すれば、数をソロバンの上にあらわす方法は、だいたい、こんにち我々の行なっている方法と同じ原理によっていたらしいのである。 この間、幾千年の時は流れた。しかも、ついにこれらの国々おいては位取り記数法は発明されなかった。いいかえれば、零はついに発見されなかったのである。
・インド記数法によれば、ただ10個の数字を用いるだけで、あらゆる自然数を自由に書きあらわしうる。インド記数法を用いるときは、二つの数の大小が一目して判定できるということも、この記数法の著しい長所として挙げることができる。我々は筆算に慣れすぎて、ともすればその恩恵を忘れがちであるが、かように便利な算法は位取り記数法があってはじめて可能であることを銘記しておかなければならない。
・大英博物館に保存されているローマ時代のソロバンについて、
・「日本のソロバン」と「ローマのソロバン」との最も重大な相違は、これら二種のソロバンの構造の上にあらわれる。日本のソロバンはすべりの程よく磨いた竹の串に木製の球を指している。しかし、金属板の溝をはめ込んだボタンを一々指で押していたのでは、とうてい、素早い操作はできそうにない。西洋では、ソロバンといえば旧時代の遺物とみなされているのは、実はこういうところにその理由があるのである。こういう末梢的と見える構造の相違が、あんがい、ソロバンの本質に影響を与えていることは注意すべきである。 以上